
導入|氷河期世代が置き去りにされた20年
2000年代初頭――「会社に入れた」ことが、安心であると同時に呪縛でもありました。
朝6時に出社し、終電を逃して深夜1時に帰る。そんな生活を「若いうちは当たり前」「文句を言うのは甘え」と片づける空気が職場を支配していました。逃げ出すという選択肢は頭の中にすらなかった。辞めたら次はない、そう刷り込まれていたからです。
追い出し部屋に押し込まれたときの現実
時代が変わり、「働き方改革」が叫ばれるようになると、経営陣は表面上の「改善」をアピールし始めました。しかし、現場の実態は真逆でした。無理な目標と残業削減の両立を押し付けられ、浴びせられた言葉は、今も耳に残っています。
「お前たちは社長が逮捕されても良いのか!」
経営はイメージだけ整え、実態は別。自分の責任を正面から取るつもりはどこにもない。そうやって、長年尽くしてきた社員が“追い出し部屋”送りといえる配置転換により、事実上のリストラになっていく――私の体験は、まさにそれでした。
(注) これは大企業のニュースで見る黒字リストラとは違います。現場で淡々と行われる「自主退職に追い込む」手口です。表向きは円満退職でも、退職金すら出ないケースも多いのが現実です。
うつ状態に気づくまで――体の悲鳴を無視していた日々
在職中、私は激しい頭痛と起き上がれないほどの倦怠感に何度も襲われていました。当初は「体のどこかが悪いのか」と脳神経外科を受診しましたが、異常は見つかりません。退職を決めたころ、ようやく気づいたのです。
自分は、心の病(うつ)なのだと。
精神科の受診はハードルが高く、抵抗がありました。しかし、状態は悪化する一方で、通常の判断力も失われていく。次の仕事を探せる状況ではないのに、生活費は待ってくれない。「うつ病の診断が出たら採用されない」という恐怖が、私をさらに追い詰めました。
「これは気合や根性の問題ではない」――初めて、その言葉の重みが腹に落ちた瞬間でした。
救いが見えた瞬間:傷病手当金に出会うまで
絶望の淵で、古い同僚との雑談から思い出したのが「傷病手当金」という言葉でした。これが私の人生の分岐点となりました。
「病気で働けない。でもお金がないと生きていけない」
制度の存在にたどり着いたものの、立ち塞がったのは書類の山と複雑な申請手順でした。うつ状態で思考がまとまらない中、これを一人でこなすことは、事実上不可能に近い作業でした。
【重要】私が申請サポートを選んだ理由
ここで、私が最も強調したいことがあります。「申請サポート」を活用したこと。これが私の回復の分かれ道でした。
なぜ、あえて費用を払ってまでプロに頼ったのか。そこには明確な理由があります。
- 判断力の欠如を補うため: うつ状態では情報を読み解く力が奪われます。
- 不備によるダメージを避けるため: 申請却下は、精神的に致命的な打撃になります。
- 受給までの最短ルートを通るため: 専門家はリスクを避ける手立てを持っています。
私がサポートを選ぶ際に重視した基準は以下の通りです。
- 実績のあるサービスか: 過去の受給成功事例が豊富か。
- 費用対効果と保証: 万が一受給できなかった場合の返金ルールがあるか。
- 信頼性: 個人情報の扱いが適切で、相談対応が丁寧か。
精神が崩れているとき、本当に必要なのは「誰かに手を預ける勇気」です。私はその勇気を出して、本当に正解でした。
申請サポートで私が行った実務メモ
サポートを受けながら、私は以下の手順で進めました。
- オンライン診療の活用: 自分が心の病であると認めることは勇気がいります。特に40代ともなると全く良いイメージが浮かばないと思います。オンライン診療であれば「心の病の病院に通院する」というハードルを下げることができ本当に助かりました。昔ながらの通院であれば、私は踏み出すことが出来なかったかもしれません。
- 指示通りの書類準備: 「やることを言われるまま進められる」ことが、何よりの救いでした。
- 記録の徹底: 書類はコピーを取り、やり取りをすべて記録しました。
結果、申請は無事に受理され、支給が始まりました。お金の不安が消えたことで、ようやく回復に集中できる「時間」を手に入れることができたのです。
終わりに:あなたへ伝えたい本音
もし今、あなたが同じように追い詰められているなら。
無理に次を探す必要はありません。まずは「休む」こと。そのための現実的な道具(制度・サポート)は存在します。自分を責めないでください。これは逃げではなく、未来の自分を守るための「戦略的撤退」です。
私のこの声が、同じような立場の誰かの助けになることを心から願っています。




